株式会社だいや

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だいやのブログ

2015年12月2日
スマホさわるのやめれば?

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スマートフォンの普及に伴って、いたる所で写真撮影をする人を目にするようになった。

搭載されているカメラの性能が、携帯電話が登場した初期段階のものとは比較にならないくらい良くなっているのだ。

そもそもデジタルカメラの登場は、一般人による写真撮影の敷居を一気に下げた。内蔵されているメモリが一杯になるまでは何枚でも撮り放題なのだから、昔のようにフィルムの残数を気にしながら写真を撮る必要がなくなったのだ。写真を撮影することが容易になったことは、きっと良いことだ。

それでも筆者は、この空前の写真撮影(あるいは動画撮影)ブームに一石を投じておきたいと思うのである。

昨日のことだが、珍しく前職の上司からメールが来た。八重山諸島に行っていたらしく、黒島と小浜島以外の離島を巡ってきたという。彼が辟易としたのが、そこらじゅうで繰りひろげられるスマホでの写真撮影だったという。なかでも竹富島は最悪だったらしい。石垣島の鍾乳洞でも同じ状況だったようだ。

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、個人が発信できるフェイスブックをはじめとするブログやツイッター、ラインなどを指す)の爆発的な広がりと、そこらじゅうでの写真撮影は決して無縁ではないと思う。

「こんなキレイなところに行ってきたよ」「こんなお店でこんな料理を食べたよ」「こんな船に乗ったよ」などなど、個人が経験したことは文章だけで伝えるよりも、そりゃ写真を伴った方が相手に伝わりやすいだろうから。

だけれども、薄情なのかどうかは自分では分からないが、私などは親しい友人が旅行に行こうが何か変わったご飯を食べようが、はっきり言ってどうでも良いのである。そんな個人的な体験を「ほら、見て、見てよ!」と写真付きでゴリ押しされても、知らんがなと思ってしまうのだ。会ったときに話を聞くのは別として。思想もなにもなく、単に「どこどこに行ってきた」、「何を食べた」なんて自己完結の自己満足じゃないの?って、そう思ってしまうのである。

話を少し拡大すると、写真撮影に限らず、スマホを媒介としたコミュニケーションやゲームなどのサブカルチャー全般は、果たして人間を豊かにしているのだろうかと考えてしまう。

電車を待っているホームで、車内ではもちろんのこと、道を歩きながら、ご飯を食べながら、眠りにつく寸前まで、ひたすらスマホの画面に視線を向ける毎日。記憶に留めておきたい景色や風景の保存もスマホで撮影。

スマホを使いこなす世代から見れば、もはや筆者のような人間は少数派で変わり者に違いないのだろうが、私ならば上記のようなシチュエーションでは次のような行動を選択するのである。

電車を待っているホーム → 行きかう人を眺めたり、考えごとをする

車内 → 引き続きぼーっと考え事をする、長距離の場合は小説を読む

歩きながら → 前方を確認しながら空を見たり風景を見る

ご飯を食べながら → 誰かがいれば会話をするし食べることに集中する

眠る時 → 眠る(笑)

記憶に留めておきたい景色や風景 → 脳裏に焼き付ける(笑)

一時もスマホを手放さず、ところかまわず写真撮影をする人々よ。

たまには「わたしって機械に支配されているのでは?」「携帯会社の思うツボなのでは?」なんて疑問を持ってみればいかがかと思う。

少しはものを考える時間を持てと言いたくなる。

かつて、テレビが全国的に普及しはじめた時に大宅壮一が指摘した「一億総白痴化」という言葉を思い出すのだ。

前述した前職の上司のメールは、以下のような言葉で締められていた。

「いずこも哲学がない。観光哲学然り。」

(山地 正晋)